小さい子どもがいると、そして外がだんだん暑くなってくると、自然と家にいることが増える。いつ起きるか、いつ泣き出すかわからない子どもがいると、隙を見て進めていた家事も中断する。料理も掃除も洗濯も、自分のペースで思い通りになんてできない。でも、そうでなくてもいいと思える本に出会った。
家事の本はよく読むほうだ。他人の家事術や家の様子、工夫を知るのが楽しい。だけど、この本でこれまでなんとなくもやもやとしていた家事に対する思いが言語化されたように感じた。
家にいることが増えると、当然家が汚れる頻度が高くなる。部屋の隅や棚の上の埃にもよく気づくようになる。本当は一気に掃除するのが理想的だけれど、なかなかそうはいかない(もちろん面倒くさいという理由もある)。そんな時筆者は、さっとティッシュを取って、手に届く範囲だけ拭くのだとか。ちょっとだけ、ちょっとだけをつなげていけば、次第に部屋全体がきれいになってゆく。ちょっとだけのつもりでも勢いづいて、思っていたより掃除できたりもする。
自分は料理が好きで、漬物やパンも作る。といっても、漬物は野菜を洗って切って漬けるだけだし、パンもほとんどホームベーカリーに材料を入れるだけだ。料理が面倒くさいと思うことがない。皿洗いも好きなので、食器洗い機は持っていない。しかしこういうことを言うと、「こだわっていますね」とか、「食器洗い機を使った方が効率的ですよ」というようなことを言う人がいる。相手の言っていることもわかるし、時短=効率的なのもわかる。けれど、好きなことまで短縮しなくてもいいのではと常々思っていた。筆者もこだわりたい家事はこだわっていいし、面倒な家事は楽をすればいいと主張しており、なんとなく救われた気持ちになった。
なにより、自分の中にすとんと落ちたのは、自分が家に帰ってきて(もしくは過ごしていて)心地よいと思える状態であればよい、というものだ。ついつい「こんなんじゃ人を呼べないな」とか、他人視点で考えてしまいがちだが、結局家で過ごす時間が一番長いのは家主なので、家主が心地よいと思える空間を作る方が重要なのだ。自分が心地よいかどうかを軸にして、部屋を整えていけばいいと気づかされた。
すべてお世話されるような場合を除いて、生きている限り家事はずっと続く。であれば自分に心地よい家事を見つけていくのがいいなと思った。
