Mikatsuの本棚

本を読んだ感想など書いています

読書で世界旅行#8 ドイツ 言葉の乱れを嘆く

『読書について』という本をめくったら、次のようなフレーズが並んでいた。

 

読書は、読み手の精神に、その瞬間の傾向や気分にまったくなじまない異質な思想を押しつける。(p.9)

多読に走ると、精神のしなやかさが失われる。(p.10)

読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思索の手綱を他人にゆだねることだ。(p.11-12)

 

これは読書批判の本なのか!?と面食らったが、読み進めていくとなんとなく真意がわかってきた。

 

光文社さんが読みやすく訳や構成を工夫してくれているおかげで、ずいぶん手に取るハードルが下がった。

 

先に引用したフレーズのように、最初は「本なんか読んでないで自分の頭で考えろ」というようなメッセージかと思っていたが、読んでいくうちに考えが変わった。ショーペンハウアーは、言葉(ドイツ語)の簡略化や言葉の乱れが進み、食べるために「駄文」を書く作家が増え、名著が埋もれていく一方で愚かな読者や名もない批評家が増えている状況に対し警鐘を鳴らしていることが分かった。

読書をするなと言っているわけではなかった。現にショーペンハウアーは著作の中で様々な本(哲学書やその当時の古典など)から引用しており、今では古典の一つになっている有名な著者や作者をこき下ろしている(読んでなければできない)。

本や機関誌が毎日のように世に出回り、大衆がまことしやかな情報に左右されて自分の考えを持てずにいる状況は今に始まったことではないようだ。

 

日本語の乱れを嘆く文章をどこがで読んだが、ドイツでも同じように嘆く人がいるのが面白かった。

 

ショーペンハウアーの生きているころにはインターネットもSNSもなかったが、匿名で意見や批評をすることへの痛烈な批判を見ると、ツールが変わっても人間はさして変わらないのだなと考えさせられた。

 

趣味で書く小説や日記などは人に見せず、ひそかな楽しみにとどめてくようにというようなお言葉もあったので、ショーペンハウアーが生きていたら、こうやってブログに「駄文」を連ねている自分にも憤慨していたかもしれない。

 

今日、幸せ?

効率よく考えるのであれば、生まれてすぐ死ねばいい。

人はいかに無駄な時間を楽しむのかっていうテーマで生きてるんだよ。(p.7)

 

現代はコスパ(コストパフォーマンス:費用対効果)、タイパ(タイムパフォーマンス:時間対効果)を重視する風潮がある。

生き物は生まれた瞬間から死に向かって生きていくので、効率重視であればすぐに死ぬのが理にかなっていると言えなくもない。

でもそんな風に考えて生きている人がいるだろうか?

帯の言葉に衝撃を受けてつい手に取ってしまった。

アフリカのペンキアートを学びに、アフリカのとある村に修業に行った著者が学んだのは、絵の技術だけではなく、幸せに生きることについてだった。

インフラは整備されておらず、電気もネットも使える時間は限られている。衣類も食器も工具も村全体で貸し借りされているような村で、人々はとても満ち足りた様子で暮らしていた。彼らの村には幸せに生きるルールがあったのだ。

 

今日、どんな人生を生きただろう?やるべきことではなく、やりたいことをしただろうか?自分や誰かに優しさをもって接しただろうか?今日の空はどんな風だっただろうか?

せわしなく生きる毎日に、この本に書かれた言葉が刺さる。年度末、何度初めで毎日を消化するように過ごしていたのでなおさら。

 

自分を大切にして幸せに生きることは、周りも幸せにする。

余裕ないな、と思ったらまた読み直したい。

 

 

 

歪な愛の行方

この人の本は、読み始めると止まらない、という作家が何人かいて、恩田陸はその一人だ。

章や登場人物の視点などで区切りがあるものの、続きを知らなければ不安になるような、ほかのことが手につかなくなるような、中毒性のある魅力がある。

タイトルから話の予想ができないところも好きだ。

恋人同士と思われる男女が、同棲を解消し、最後の夜を過ごす場面から物語は始まる。二人はそれぞれの思いを持ちながら、相手がある人物を殺したのではないかと考えている。そして最後の夜に真相を知りたいと思っている。

男女それぞれの視点で交互に語られていくことで物語は進んでいくが、主人公たちもさることながら、読者も二転三転する展開に翻弄されていく。

 

恋愛において運命性を感じたり、自分にはこの人しかいないと思い込んだり、障害があることでより盛り上がったりするものの、いつの間にか閉塞感を抱いたり相手の些細なしぐさが気に障って冷めていくことがある。特別だった思い出が急に色あせて、奇妙な気持ちになることがある。

 

誰かを愛したことがあっただろうか?

主人公たちに突き付けられたこの問いが読者にも突き刺さる。

 

恩田陸の作品は人の心の暗いところを映し出すのが上手いと思う。

他人のノートを覗く

ノートには何通りもの使い方がある。

中学、高校で教科担当の先生にノートの作り方を指示され、ノートの取り方を学んだ人は多いのではないだろうか。特に指示のない場合は、板書された順にノートを埋めていくことが多い。

どういうわけか、ノートの種類は同じはずなのに、ノートを取るのが上手い人がいる。

休んだ日の授業ノートを見せてもらって、「うっ、なんてわかりやすいノートなんだ」とまぶしく感じた経験のある人もいるのではないだろうか。

字のきれいさもさることながら、構成がよいのだろうか。

他人のノートを覗いてみたい人がいたら、お勧めしたい本がある。

文具の会社といえば、コクヨ株式会社が有名だ。ノートの販売も日本一らしい。

そんなコクヨ社員のノート術が、贅沢にも100通り公開されている。

 

方眼、罫線、無地ノート、様々なサイズやリングのあるなしなど、この本ならいつも使っているノートの新たな使い道が見つかるかもしれない。

付箋、色ペン、マーカーペンの使い方も参考にできそうだ。

 

紙の上の自由を感じた。

 

 

 

外は草だらけ

遅ればせながら、春の訪れを感じるようになった今日この頃、花粉症に苦しみながらも春の草花を一目見ようと外をふらふらしている。

郊外に住んでいるので、身近な植物と言えば人の家や公園などの庭木や植え込みだと思っていたが、この本を読んだ後は周りにはもっと草があることに気づいた。

 

植物の本といえば、図鑑みたいなもので、○○科とか△△属とかカタカナが多くて花の咲いた写真が載っているイメージだったが、この本はまるで小学校の理科の教科書みたいなつくりをしている。

四季の草花で紹介されているのだが、蜜や雄しべ雌しべのある位置、赤い葉を持つもの、毒のあるものなどと似た特徴のある植物を並べて掲載している。さらに、奇異な特徴はどんな利点があってどのような構造なのかを説明してある。

道路の間の雑草や土手の草むらにもさまざまなドラマがあるようだ。

大人も子供好奇心がくすぐられる一冊だ。

本のタイトルの通り、まちなかの植物を主に扱っているので、外を歩けば見知ったものに会うことができる。

楽しいからと言って人の家の庭をじろじろを眺めないように気を付けなければ。

 

 

 

読書で世界旅行#7 アフガニスタン 自由を求めて

読書で世界旅行をしようと考えたとき、読書でも行けない国はあるだろうなという予感はあった。本が出版されることがまれな国か、日本語に翻訳されていない(日本で出版に至るほどメジャーでない)国の本。この本を見つけたときは嬉しかった。出版するために尽力してくれた方々にとても感謝している。

 

アフガニスタンの女性作家たちによる短編集。アフガニスタンは現在政治的な混乱が続き、女性が学校に行くこと、特定の職業以外につくこと、結婚や出産を自分で決めることが難しい。この本はアフガニスタンで出版された本ではない。

この本は、海外の文学作品を翻訳・出版しているイギリスの出版社が英語翻訳本を出し、その本の日本語訳版だ。

 

収録されている話はもちろんフィクションだが、実体験に基づいた話、暮らしの様子、結婚観などはその国の信条や文化が色濃く出ていると思う。

生活苦や長引く戦争のつらさ、自由を求めてやまない話、亡命した話など、18名の作家が紡ぐ物語はどれもとても身に染みた。

 

身の危険にさらされながら、それでもペンを取り、自分を表現する勇気。その勇気を掬い取り世界へ届ける会社があって本当によかったと思う。一人で勝手にやってるプロジェクトではあるが、すでにかなり実りの多い結果になっていてそれも嬉しい。

 

読書で世界旅行#6 チェコ 飽くなきガーデニング愛

意識してこれまで読んでこなかった作家の本を探していくと、多くの副産物を得ることができる。

チェコの作家カレル・チャペックガーデニングについてのエッセイは、執筆当時の社会情勢と日本とは違うガーデン植物について知ることができた。

 

チェコの園芸家たちは年中忙しい。季節の先を考え、土を作り、土を観察し、園芸店へ足繁く通う。まだ自分の庭にない花や庭の空きスペースを見ては植える花に頭を悩ませ、芝の色に一喜一憂し、暴れるホースと格闘し、臭う肥料に目を輝かせる。花を楽しむというよりも、庭をいじることが園芸家の使命のようだ。

 

カレル・チャペックは園芸家としてよりも劇作家として世界的に有名で(全く知らなかった)、このエッセイが書かれたころはチェコの独立後、プロレタリア文学が多く出ていた時期で、のんびりとしたガーデニングエッセイは異色だったのではないかとの考察がされていた。どんな時代にも心休まる話というのは必要なのだ。

 

チェコと日本の風土が違いすぎてか、ガーデニング植物の名前は知らないものが多かったが、いざ画像を調べていると見たことのある花も多く、日本にも持ち込まれている種もかなりあるとのことだった。

ホームセンターで見つけたらにやけてしまいそうだ。