Mikatsuの本棚

本を読んだ感想など書いています

読書で世界旅行#1~5

2024年は何かテーマをもって読書をしようと思い『読書で世界旅行』することにした。

いくつか読めたので、1か国目から5か国目までをリストアップ。

 

1か国目は中国。レシピ本、シンプルな料理が結局美味しい。

mikatsubooks.hatenadiary.jp

2か国目は韓国。日本社会と似ているとしみじみ思う。

mikatsubooks.hatenadiary.jp

3か国目は日本。日本のことも意外と知らない。

mikatsubooks.hatenadiary.jp

4か国目はノルウェー。初めてノルウェー作家の小説を読んだ。

mikatsubooks.hatenadiary.jp

5か国目はスウェーデン。旅好きには絶対共感できる一冊。

mikatsubooks.hatenadiary.jp

 

思い付きで始めたことが、多くの気づきと視野を広げるきっかけになった。

今年もあと2ヶ月とないけれど、読書で世界旅行は今年に限らず続けていきたい。

アガサ・クリスティーに翻弄される

以前アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』を読んでから、ミステリーの古典を読んでみようと思っていた。次はエルキュール・ポアロの活躍する『ABC殺人事件』を読んでみた。

(あらすじ)

名探偵ポアロのもとにABCと名乗る人物から1通の手紙が届く。地名と日付の書かれた手紙は、よくあるいたずらだと警察は気とめないものの、ポアロには漠然と気にかかるものがあった。そしてその後、手紙にあった地名と日付の場所で、一人の遺体とABC順に載っている時刻表が見つかる。それからABCと名乗る人物から不定期に手紙が届くようになり、B、Cとアルファベットのつく人物が殺されていく。犯人は単なる殺人狂か、関係ないと思われている一連の被害者には共通点があるのか。

 

今回もアガサ・クリスティーの掌で踊らされているように感じた。シャーロックホームズの小説のように、この本ではポアロの友人であるヘイスティングスの視点から主に綴られている。情景描写がシンプルで、情報が少ない。作者の敷いたレールの上から外れられない。登場人物は多いのに、犯人像が予想できない。どうなるかわからなさ過ぎて読み進めることしかできなかった。

ABCのアルファベット順に殺されていくというネタは、似たようなものがほかのミステリー作品でも見られたけれど、ほかの作品と違い、すでに出てきている登場人物の中から被害者が出るでもなく、事件現場も電車移動する必要があるなど、被害者候補が広範囲すぎる(というか殺されて初めて登場?する)。犯人と思しき人物が出てきても、しっくりこない点が多く、最後まで翻弄された。

 

アガサ・クリスティーの作品はまだまだある。きっと次も訳が分からないまま読んでいくのだと思う。

 

mikatsubooks.hatenadiary.jp

 

 

自分だけの価値観を守ったっていいじゃないか

誰にでも分かりやすい大きな夢を掲げて、それをかなえている人は眩しい。ただただうらやましいと思ったり、自分とは違う世界の人だと思ったりする。

だけど、人からは容易に理解できない理由でも、論理的でなくても、夢や目標に向かって一生懸命にもがいている人はたくさんいるし、それでいいじゃないかと思う。

中学生の時に大好きだった作家の森絵都さん。本屋で目についた文庫本にその名前を見つけて手に取った。直木賞受賞作だったようだ。

読んでみてまず感じたのが違和感だった。こんな作風だっただろうか?中学生の頃に読んだ本の記憶なんてほぼ皆無ではあるけれど、読んでいて共感できる部分がもっとあった気がする。そんな印象があっただけに、この本の登場人物に感情移入できなくてもやもやした。でもそれぞれの物語を読んでいくうちに、この感覚の方がリアルなのかもしれないと思うようになった。誰もが周りから見てわかりやすい、共感できる夢を持っているわけではなく、大なり小なり自分だけの価値観を持って生きている。その結果何かが上手くいかなかったり、人間関係が破綻したり、孤独感にさいなまれても、自分の人生なのだから傍からうまくいっているように見られようとそうでなかろうと、それがどうしたという気になった。

「なんでそんなことに一生懸命なの?」と理解できない人の方がずっとずっと多い。自分だって周りから見たら「何やってんの?」と思われる行動をとっている自信がある。人生は共感されるべきものではないのだと思う。

 

読書で世界旅行#15 イタリア 2つの家族

第二次世界大戦後、イタリアでは南部の貧困家庭の子供を、北部の裕福な家族のもとに受け入れるという社会活動「幸せの列車」があった。

 

(あらすじ)

イタリア南部、長屋で母と二人で暮らす7歳のアメリーゴの悩みは靴だった。自分の足に合う靴も満足に履くことのできない、その日ぐらしに近い生活を送っていた。同じように貧困にあえぐ町の人たちの靴はみすぼらしいものが多かった。貧しい暮らしの中で同じ長屋に住む住人や友達との生活が続いていくと思われた。そんな中、「幸せの列車」にアメリーゴは乗ることになる。ロシアで強制労働させられる、食べられてしまうというような噂におびえながら、眠れぬ夜を電車に揺られて過ごした先には、北部の裕福な生活が待っていた。最初こそ母親のいない寂しさや、南部とは違う生活環境に戸惑っていたアメリーゴも、次第に暖かい家族のなかで幸せを感じるようになる。しかし、それも期限付きの家族だった。アメリーゴは元の家に戻ることとなる。2つの家族の間で揺れ動く感情や生活の違いを経験しながら、少年は成長していく。

アメリーゴから見た実の母親は優しくも不器用で、そっけなく、時に意地悪だ。一方北部の母親や家族は、教養があり、優しく包み込んでくれる。彼を取り巻く周りの大人たちや学校、憧れていた音楽も断片的に描写されている。子どもの目を通した南部と北部での生活の様子は、社会のことが理解できておらず、目の前のキャンディーやハム、おもちゃに目が行きがちだ。そのため、読者にあれこれ考えを巡らせる行間が多いと感じた。字も書けないほど十分な教育を受けていないけれど、貧しい中で何とか子どもを育てていかなければならない母親の責任や、「幸せの列車」に乗せざるをえないと判断した母親の苦悩は、アメリーゴにはわからないことだ。北部の家族がどのような思いで子どもたちを受け入れていたのかも、表面的な描写では測りかねるところがあった。そこには社会的思想や同調圧力、里子をもらいたいというそれぞれの思惑があったと思われる。

イタリアの作家の本を読んだのは初めてで、強く印象に残った。

 

ラテラルシンキング

問題: みかんが13個あります。3人に公平に分けるにはどうしたらいいでしょう?

13÷3=4あまり1

答え: 4と1/3個?

本当に?

学校でこういう問題に慣れてしまって、なかなかほかの方法を思いつかなくなってしまった。世の中にはすでに「こうあるべき」という考え方が確立されてしまっていて、それを前提に動いていることが多い。けれど、そこから外れた「ずるい」考え方がビジネスの成功のカギになったり、生きやすい社会につながるのかもしれない。

 

冒頭のみかんの問題では、個数で分けろとはいわれていない。同じ重さで分けることもできるし(みかんの大きさが同じとは限らない)、ジュースにして1杯ずつ飲んでもいい(みかんが同じ甘さだとは限らない)。本書には種を植えてもっとたくさん実るのを待つ、というものもあった。突拍子もない発想かもしれないが、「間違って」はいない。正しい答えは一つだけではないのだ。このような考え方をラテラルシンキングと呼ぶ。

ロジカルシンキングが「筋道立てて論理的に解答を導き出す」垂直思考なのに対し、ラテラルシンキングは「思考の幅を広げる」水平思考をする(p.20)。どちらが良いというものでもなく、補完関係にある。ロジカルシンキングだけでは論理的に物事を進められても行き詰ったり、新しい発想が受け入れられにくい。ラテラルシンキングだけでは、発想の広がりはあっても秩序を保ちにくい。

この本を通じて初めて知ったラテラルシンキングだったが、意外と社会のあちこちでこの発想が生かされていることを知った。

考えに柔軟性がなくなってきていると感じる今だからこそ、「もっと楽できないか」「本当にそれだけしか方法はないのか」「組み合わせたり分解したりできないか」という視点を持っていきたい。

 

 

危険なアウトドア

秋晴れとなった三連休。日中は少し暑いけれど日陰や風は涼しい。やっと過ごしやすい季節になってきた。

ハイキングやキャンプなど、休日の過ごし方の選択肢にアウトドアが入ってくるようになった。しかし、アウトドアをなめてかかると大変なことになりそうだ。

ショッキングなタイトルだ。アウトドアに行く前に気を付けておくことや持ち物が紹介されているかと思いきや、ほとんどがアウトドアでの死亡事故を扱っている。山だけでなく、海、川での危険事例や動植物による死亡事例も載っている。アウトドア全般に役立つ知識が実際にあった事故と共に紹介されていてとてもリアルだった。

まず登山。ツアーだけではなくサークルや個人で気軽に楽しめる山が多い半面、思わぬ事故に発展する危険性はぬぐえない。滑落しなくても転倒時に打ち所が悪ければ最悪死に至るし、落石や土砂崩れの可能性もある。ハチや蛇にかまれた時の対処法(水で洗った方がよいか、冷やした方がよいかが違う)や、道に迷ったときには来た道を戻るべき(心理的に意外と難易度高い)という知識はあらかじめ持っておきたい。野生動物への餌付けもダメ、ゼッタイ!人ってこんな簡単に死ぬのか、とショックを受けた。絶対単独登山なんか絶対しない。

続いて海、川。海水浴シーズンは過ぎても、ダイビングは年中できる。冬の海は透明度が高く生き物の種類も変わるため、冬の海が好きなダイバーも多い。海の生き物にも毒をもつものがいるので、むやみに触ったり踏みつけないように注意が必要だ。釣ったよくわからない魚は素人判断で食べてはいけない。川のそばのキャンプは楽しいけれど、天気予報をしっかり確認。前日に大雨が降っていたら増水の可能性があるので川でのキャンプはあきらめる。テントの中で火をおこしてはいけない。

そして山の幸、山菜やキノコ類。山菜やキノコはスーパーか道の駅で買うのが吉。食べれるキノコに似た毒キノコ多すぎ。どこかのキノコ専門家も、食べれるキノコかそうでないかの見分け方は、スーパーに打っているかどうかだと言っていた。個人的にチョウセンアサガオ(いろんな食べられる植物に似ている)の俗称がキチガイナスビなのが面白すぎた。中毒症状は食べてから大体15分くらいで出始める。そのうち治ると思わずすぐ病院へ!

 

安全にアウトドアを楽しもう!

 

独学英会話

日本で英会話力をつけようとすると、オンライン英会話や英会話スクール、サークルなどのサービスを利用するのがメジャーだ。もし時間とお金があれば留学するという方法もある。けれど、サービスやスクールに通うだけだったり、外国に行くだけでは英会話力がつかなかった、もしくは思うほど話せるようにならないという経験をした人は多いと思う。

学校のテストや資格ではない、世間話や観光、買い物で使える英語を話せるようになるのに、どんな勉強をすればいいだろうか。

学校英語に慣れてしまうと、英語がテストで点を取るための科目になり、間違えてはいけないもののように感じてしまう。「正しい」英語を「すらすら」話せないのはある種恥であり、「上手」になってから話そうと考えるといつまでたっても英語を使えない。思うことを伝えたり、相手のことを知ったりするコミュニケーションツールとしての英語を独学で勉強するための方法がこの本で紹介されている。

この本のありがたいところは、みんながみんな資格や留学のために英語学習をしているわけではないことを織り込み済みであることだ。そして実用的な英語学習法と汎用性の高いフレーズ集が豊富で、見て、聞いて、話して独学することを可能にしてくれる。また、巻末には英語で仕事する人、ある目的のために英語を話したい人など、生活の一部に英語がある人のインタビューが掲載されていて新鮮だった。

 

身の回りのことは意外と英語で出てこないことに気づいた。海外で生活するためという目標で英語学習を進めてみようと思った。