これまで平面的にしか見えていなかったものに奥行きが感じられるようになった時、感動する。今年初めてそういう小説を読んだ。
孤独にとらわれている青年が、ある一人の水墨画家に出会い、水墨画を通して人々や世界、美に出会う物語。
水墨画はやり直しがきかない一本勝負。二度と元に戻らない唯一無二の花の一瞬をとらえ、紙の上に命を吹き込む。主人公の鋭く繊細な観察眼を通して、登場人物たちの性格、身の回りにあふれる美、水墨画の魅力が伝わってくる。言葉巧みな表現で、まるで今まさに物語の中の水墨画の前にいるような感覚を覚える。
それまで水墨画を見てもなんとなく迫力があるな、すごいなくらいの感想しか持たなかったけれど、小説を読んだ後は描く人によって線が違うこと、同じ題材なのに見える世界が違うことなど、素人なりにあれこれ考えて鑑賞できるようになった気がする。
絵を描くことにとどまらず、人生において心にとどめておきたい名言が多くあったことも、この本を読めてよかったと思った理由だ。
心はまず指先に表れるんだよ(p.70)
茶道をしているとこれをすごく感じる。緊張していたり心配事があったりすると、所作に表れてうまくいかない。上手な人はお点前をするにしても戸を閉めるにしても、とにかく手がきれいだと思う。
ともかく最初は描くこと。成功を目指しながら、数々の失敗を大胆に繰り返すこと。そして学ぶこと。学ぶことを楽しむこと。失敗からしか学べないことは多いからね(p.147)
失敗しないようにと気を張りがちで、それによって一歩が踏み出せないことに悩んでいたので、これを読んだときはちょっと泣きそうになった。
本当はもっといろんなものが美しいのではないかって思いました。いつも何気なく見ているものが実はとても美しいもので、僕らの意識がただ単にそれを捉えられていないだけじゃないかって思って・・・。(p.250)
最近何かをきれいだと思った記憶がない。年が明けて忙しかったせいと言えばそうだけれど、春の訪れはもうそこかしこにあって、毎日たくさんのものを目にしているはずなのに、だ。この本を読んで、文字によって描かれた水墨画をきれいだと思えたこともこの本を読んでよかったと思う理由だろう。
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