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字のない葉書を求めて

『字のない葉書』という話を学生の時に読んだ。中学生の時だったか高校生の時だったか、細かいことは覚えていない。国語の教科書に載っていた。向田邦子という人が書いた戦争と家族の話だったことが印象的で、古本屋に行くたびにひそかに本を探していた。

やっと見つけて、なぜこんなにもこの話が印象に残っていたのか分かった気がした。

脚本家、小説家、家族や自分についてのエッセイを書いた作家で、飛行機事故で急逝した人だ。

『字のない葉書』を読むのを目当てに買ったけれど、東京大空襲の経験や、黒柳徹子さんを「嬢」と呼ぶあたりからある種歴史のような、向田邦子の見た時代を見ることができた。

 

『字のない葉書』は、疎開した妹に関する話だ。まだ字の書けない妹のために、父親が宛名を書き溜め、毎日いい日は〇、よくなければ×を書いて送るように白い葉書を妹に持たせた。疎開当初は手厚い歓迎を受けたため、大きな丸の葉書が届くが、次第に丸が小さくなりばつに変わり、ついに葉書は届かなくなった。心配した兄弟が自分の疎開先から様子を見に行くと、ひどいありさまだったため実家に連れ戻すことに決めた。子供に手を上げ、大声で怒鳴るような父親が、普段なら許さないような小さなカボチャまで向田邦子含む家族に収穫させ、やせ衰えた妹を抱いて大声で泣いたというエピソード。ほんの4ページ。戦争や疎開とは縁のない世代の自分がその時ひどく動揺したのを覚えている。

 

生々しい、と思ったのかもしれない。歴史の教科書や戦争を記録した文書は読んでいても、経験した人の当時の様子を物語のように、筆者の目を通してまるで自分がみているように読むとは思わなかったのだ。

 

そしてもう一つ、向田邦子の父親が、自分の父親にどこか重なるところがあったからだと気づいた。家族についてのエッセイ本が出させたとき、「自分の父親に似ている」、「父親と重なるところがある」との連絡が多数寄せられたそうだ。自分はその一人なのだろう。

 

自分の父親のどこが重なったのかと言えば、偉そうにふるまったり殴られたりしたことはなかったので、理不尽に怒られたりしたところだろうか。怒鳴っている描写を読むと自分まで肩をすくませてしまう。

もう一つ、思い当たることがある。小学生の時は病気がちで、野外活動が退院後間もない時期だったため、自分は参加できないことは明らかだった。修学旅行ほど楽しみではなかったので、正直大したこととは思っていなかったのに対し、父親は珍しく自分に正座で向き合い、悔しそうに「すまない」と言った。泣いていたように思う。いつも家ではほとんど黙っており、子どもに謝ることなどまずなかった大きな存在である父親が、急に弱い姿を見せたことに戸惑った。自分はすごく慌てて、変な言い訳みたいなことをした記憶がある。

 

この本に描かれている父親が亡き父に似ている、という点も含めて心に残り続ける作品だ。