Mikatsuの本棚

本を読んだ感想など書いています

きみに読む物語

2023年が終わる前に、達成しておきたいことがあった。

きみに読む物語』の原著『The NOTEBOOK』を読むことだ。

なんとか読み終えて、映画を改めて見たくなった。

 

実話がもとになっているという『きみに読む物語』は有名な純愛映画だ。名作だから見ておこうという単純な理由で映画を見て、じんと心にしみた。原作は英語ということで、今年中に読み終わることを目標にのろのろと読み進めていた。

 

※ネタバレが含まれますのでご注意ください。

場面はグループホームのようなところで、施設に住んでいる高齢男性の語りから始まる。彼が気にかけているのは同じく施設に住んでいるアルツハイマー病の老女で、彼女の気分のいい日にはある二人の物語を読み聞かせている。

 

ひと夏の恋になるだろうと思われたティーンエイジャーの二人、ノアとアリーは、お互いに運命を感じながらも周囲の環境や人々に翻弄され、関係は自然消滅した。数年後、良家の令嬢として良家の子息と婚約したアリーは、ある新聞記事を目にする。そこにはかつて夢中になっていた相手、ノアが載っていた。過去の恋と秘めていた疑問を胸に、アリーは結婚前にノアに会いに行くことを決心する。

行き違いや衝突もありながら、未だ互いを想いあっていた二人。しかしアリーにはすでに婚約者がおり、二人の時間はもう戻らない。

 

物語の結末が分からないまま、場面は施設の男女へ戻る。女性はどこか懐かしいような話の続きを気にしながら、日々自分から滑り落ちてゆく記憶におびえる。男性は女性を気遣いながらも病に侵された残り少ない人生にわずかな奇跡を持ち続ける。生涯をかけて愛し合う二人を死は分かつのだろうか。

 

人生の中で愛したい人がいて、その愛を貫き通す。簡単でないのはもちろんのこと、何十年と共に人生を歩むには大変な努力を要する。いつも楽しいばかりじゃないし、もしかしたら忘れられてしまうかもしれない、自分が大切な人のことをわからなくなってしまうかもしれない。それでも傍にいたいという人に会えることはものすごく幸運だろう。

 

原作との違いや描写を比較しながら、もう一度映画を見てみよう。

 

行動を仕掛ける

ポイ捨て、ながらスマホ、傘の盗難、よくないことだしやめるべきだという認識はほとんどの人にあるものの、依然そこら中で見られる現象だ。

人は正論だけでは動かない(そもそも正論が通じる人は上記の行動をとらないだろう)から、問題解決につながる「仕掛け」でどうにかならないだろうか。

人がある行動をついやりたくなる(もしくはやりづらくなる)ように誘導し、社会の課題を解決しるのが仕掛学だ。前著の理論編に続き、本書は実際の45事例を紹介してくれている。

ゴミをゴミ箱へ捨てさせたり、手指消毒を徹底させたり、試食してもらって購買意欲を高めてもらったりするにはどうすればいいのか、試行錯誤の過程や実証実験満載の本だ。

成功事例やテレビで取り上げられたものだけではなく、いまいち効果がなかったものや失敗に終わったものも収録されているので、そこからアイデアを広げやすくなっている。

個人規模ではダイエットや勉強習慣、集団規模では職場の環境改善やいかに潜在顧客に認知を広げるかなど、仕掛学をもとに何か設計できないかとあれこれ考えている。

読む茶の湯

11月から茶道を始めた。

正座が続かず、すぐに足がしびれる。先生や他の生徒さんが正座で談笑やお点前をする中、感覚のない足を引きずりながら座椅子に手を伸ばしている。

こんなことで大丈夫だろうかと不安になる。

茶道は本来テキストで勉強するものではないのだけれど、茶道にまつわるいろいろに興味がわいてきて、家元が初心者向けに書かれた本もあったので読んでみた。

茶の湯のイメージはどんなものだろうか。

畳、着物、お抹茶、正座、作法がこまごましているなどだろうか。

以前読んだ「日日是好日」の映画を見た人もいるかもしれない。

mikatsubooks.hatenadiary.jp

 

この時も書いたけれど、茶道は掛け軸や茶花、季節のお菓子など、日本の季節の移ろいや日々の変化を感じ取り、小道具や空間に取り込んでいる。そんな空間で一服のお茶を点て、お客をもてなす。稽古を通じて素人なりに気づいたのは、これに茶器の知識や生地の柄、書道なども関係してくる。とても奥深い。

この本では作法も写真で説明してくれているが、やはり師の下で見よう見まねで稽古をつけてもらう方がよいようだ。先輩方の流れるような所作も学びになる。

 

まずは足のしびれない座り方をマスターしなければという情けない状態だが、競うものではなし、型の習得に努めようと思う。

記憶の中の恋

野菊の墓という短い悲恋小説を読んだ。

主人公の記憶の一部を切り取ったかのような話で、すぐ読み終えたけれどいつまでも考えてしまった。

 

恋愛小説の結末が悲恋になる要素には、たいてい以下が当てはまる

・身分の差(階級・家族間など)

・時代背景

・不運

・死別

 

野菊の墓はこの要素すべてをコンプリートしている。

・身分の差(階級・家族間など)

主人公の政夫は十五歳、中学への進学を控えている。いとこの民子は十七歳、当時は嫁入り先を考えなければならない歳だった。親戚間の恋愛は現代でも厳しい。

 

・時代背景

当時は結婚適齢期の娘が親戚とはいえ男性と親しくすること(二人で部屋で話したり出かけること)は大変はしたないとされていた。また、結婚の際女性側が年上であることも良しとされなかった。そのため二人は幼いころから仲が良かったが、年齢ゆえに家族や近所からたしなめられるようになる。

 

・不運

政夫と民子ははじめは純粋に互いを良い友人として思っていたが、(年齢による気持ちの変化もあったにせよ)家族たちの様子から次第に恋愛感情を抱くようになる。お互い高い倫理観を持っていたため理由もなく手を握ることすらなかったにもかかわらず、家族から非難され無理やり仲を引き裂くような仕打ちを受ける。民子は字を書くことができなかったため、政夫の在学中に手紙を出すことすらかなわなかった。

 

・死別

家族の強い勧めで嫁がされた民子は体を崩し、最期まで政夫に会えぬまま亡くなってしまう。のちに家族総出で政夫に詫びる描写は滑稽で悲壮感がある。

 

無邪気で幸せだった時期、お互いを意識し始め行動に一喜一憂する時期、心が通い合ったと感じられた時期、引き裂かれた仲に悲嘆にくれる時期、死別から終わりのない喪失感を味わい、今もなお記憶の中の恋を追憶する主人公は何度も何度も民子を想っている。

 

もし時代が違えば、もし二人が家族や親戚の言うことを振り切って、駆け落ちなどできるほど後先考えず行動できていれば、もし民子が字が書けていればとあれこれ考えてしまう。

 

自分のしつけ

環境が変わって新しい人に会う機会が増えると、自分の行動を見直すようになる。言葉遣いやついやってしまう癖を発見したり、相手の姿勢の良さや落ち着いた発言にはっとしたりする。

大人になったら自分のことは自分でしつけなければなあと思い、本棚に積読していた本を引っ張り出してみた。

この本は全6章に分かれていて、それぞれ

・性格

・美しさ

・健康

・生活技術

・コミュニケーション

・生活規範

をテーマに行動や考え方のしつけ方が紹介されている。

 

自己啓発本はだいたい「こうした方がいいですよ」という情報が盛りだくさんで、すべてを身に着けるのは自分向きではない。そのため、いくつか自分をしつけたい項目をメモしておく。

 

・礼儀作法を学ぶ

  茶道を始めたので、姿勢や所作を大いに改善しようと思う。冠婚葬祭に出席する機会も増えてきたので、身に着けるべきだ。

・体型整備に努める

  人生は長そうなので、体は鍛えておく方がいいなと。最近知り合った人が80歳を過ぎたら急に弱っていく人と元気な人に二極化していくと言っていて、このままでは弱っていく未来しか見えないので運動しよう。

・習慣にしてく

  姿勢をよくすること、丁寧な言葉遣いをすること、野菜をもっと食べることはすぐには身につかない。意識して取り入れていって習慣化することが大事だ。

・言い争わず、いなす

  マウントを取ってくる人やネガティブなことを言う人に引きずられたり、真に受けたりしてしまうので、いなす。正面から向き合わなくていいこともある。

 

しつけるは漢字で「躾ける」と書く。

身を美しくすることがしつけだと思うと、少しやる気が出る。

 

車両清掃の裏側

新幹線に乗っていて、汚いなと思うことがまずない。

在来線も特に汚れてはいないけれど、誰かの置いていったペットボトルやこぼしたジュースの跡くらいはある。

新幹線に乗るのは長距離移動する客なので、もっと飲み物のごみや忘れ物も多いはず。

新幹線がきれいなのは、それを清掃している人々がいるからだ。日々約110本もの新幹線の清掃を担う会社と、その裏側に密着した本を読んだ。

 

「株式会社JR東日本テクノハートTESSEI (旧: 鉄道整備株式会社)」は清掃会社。正社員とパート社員で構成される清掃のプロフェッショナル達の仕事は、新幹線の車両清掃のみならず、コンコースやホームでのカスタマーサービスも行っている。

清掃は縁の下の力持ちでありながら倦厭されがちな業務だ。しかも新幹線は毎日かなりの数が駅を行ったり来たり。いかに短時間で、清潔に仕上げるかが永遠の課題だ。

「ただの掃除スタッフ」だった社員たちが、いかにして人材教育や組織改革に乗り出し、現在のプロフェッショナルかつあたたかなサービスを提供する会社に成長したのががこの本で取り上げられている。

 

東北大震災時の新幹線のトイレの惨状や、復興に向けた清掃員たちの思いについても触れられている。

新幹線はきれいであることが当たり前のことだと思っていたけれど、それを支えている仕事について知れたいい本だった。

 

字のない葉書を求めて

『字のない葉書』という話を学生の時に読んだ。中学生の時だったか高校生の時だったか、細かいことは覚えていない。国語の教科書に載っていた。向田邦子という人が書いた戦争と家族の話だったことが印象的で、古本屋に行くたびにひそかに本を探していた。

やっと見つけて、なぜこんなにもこの話が印象に残っていたのか分かった気がした。

脚本家、小説家、家族や自分についてのエッセイを書いた作家で、飛行機事故で急逝した人だ。

『字のない葉書』を読むのを目当てに買ったけれど、東京大空襲の経験や、黒柳徹子さんを「嬢」と呼ぶあたりからある種歴史のような、向田邦子の見た時代を見ることができた。

 

『字のない葉書』は、疎開した妹に関する話だ。まだ字の書けない妹のために、父親が宛名を書き溜め、毎日いい日は〇、よくなければ×を書いて送るように白い葉書を妹に持たせた。疎開当初は手厚い歓迎を受けたため、大きな丸の葉書が届くが、次第に丸が小さくなりばつに変わり、ついに葉書は届かなくなった。心配した兄弟が自分の疎開先から様子を見に行くと、ひどいありさまだったため実家に連れ戻すことに決めた。子供に手を上げ、大声で怒鳴るような父親が、普段なら許さないような小さなカボチャまで向田邦子含む家族に収穫させ、やせ衰えた妹を抱いて大声で泣いたというエピソード。ほんの4ページ。戦争や疎開とは縁のない世代の自分がその時ひどく動揺したのを覚えている。

 

生々しい、と思ったのかもしれない。歴史の教科書や戦争を記録した文書は読んでいても、経験した人の当時の様子を物語のように、筆者の目を通してまるで自分がみているように読むとは思わなかったのだ。

 

そしてもう一つ、向田邦子の父親が、自分の父親にどこか重なるところがあったからだと気づいた。家族についてのエッセイ本が出させたとき、「自分の父親に似ている」、「父親と重なるところがある」との連絡が多数寄せられたそうだ。自分はその一人なのだろう。

 

自分の父親のどこが重なったのかと言えば、偉そうにふるまったり殴られたりしたことはなかったので、理不尽に怒られたりしたところだろうか。怒鳴っている描写を読むと自分まで肩をすくませてしまう。

もう一つ、思い当たることがある。小学生の時は病気がちで、野外活動が退院後間もない時期だったため、自分は参加できないことは明らかだった。修学旅行ほど楽しみではなかったので、正直大したこととは思っていなかったのに対し、父親は珍しく自分に正座で向き合い、悔しそうに「すまない」と言った。泣いていたように思う。いつも家ではほとんど黙っており、子どもに謝ることなどまずなかった大きな存在である父親が、急に弱い姿を見せたことに戸惑った。自分はすごく慌てて、変な言い訳みたいなことをした記憶がある。

 

この本に描かれている父親が亡き父に似ている、という点も含めて心に残り続ける作品だ。