曽野綾子さんは教育論を多く遺している。賛否両論があるけれど、この一文を読んで筆者の根底にある思想が分かった気がする。
教育の最終責任者は自分である。その次が親である。教師は三番目である。(p.252)
人の個性はどのように形成され、どう生きるべきなのか。
人はどんな環境からでも学ぶが、家庭でも学校でも教育はまず強制することから始まる。就学年齢になれば学校へ行かなければならず、時間になれば席に座り、予定されていた科目を学ぶ。最初から学校へ行って勉強したい子どもなんていない。親の意向で習い事や手伝いをさせられることもしばしばある。自発的に学ぶようになるまでには強制的に学ばされていた期間というものが必ずある。そのため筆者は、子どもが自発的に学ぶべきだという風潮に警鐘を鳴らす。社会で生きていく以上、強制的に学ばなければならないことがあり、それを個人に任せていてはならないのだ。
筆者はまた、「みんな仲良く」「平等に」「平和を願おう」というような日本の教育に、致命的に欠けている点を指摘する。貧しい国や多民族国家の例を見れば、みんな仲良くなどというものは幻想で、世の中は不平等にあふれている。外交的な駆け引きや妥協で何とか小康状態を保っている国も多い。それでも時には清濁を併せ吞み、利害を超えて助け合わなければならないこともある。きれいごとばかりを並べるのはやめるべきで、理屈だけでは通らないことを身をもって知ることも必要だという意見には賛成だ。
そして何より、人は自分で自分を教育するべきであり、環境や人のせいにしている場合ではないと筆者はいう。美点も欠点も含めて自分を受け入れ、環境から学び、読書から多くを学び、自分らしくいることが重要だ。
「自分のしたいことをするのが自由ではないでしょう。人としてするべきことをするのが自由です」(p.47)
これから自分の個性をどう創ろうか。
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